じろくんの病気

2003年 春 


小学校入学         
5月の連休辺りからどうも疲れやすくだらだらしてる・・・。
ノートの字も雑な感じ。
小学生になって、暑くなってきたし、つかれるのかな?程度の認識。
1学期の間に2回ほど保健室で休ませてもらうことがあった。 

       
夏 


それでも1日も休むことなく終業式。
この頃の笑顔は今思えば左顔がひきつっていた。
こんな癖がついたのかなぁ位にしか思わなかった。

      
8月2日(土)


地元の病院の小児科受診         
この2〜3日前、普段なんともないベッドや階段で転んでいた。    
「なにかおかしい」と思って受診することにした。         
この日まで私はこの病院の看護師でした。
深夜勤務終了後、おばあちゃんに〈まんぼうじろう〉を病院に連れてきてもらっての受診でした。
歩行は昨日より更に不安定。
小児科の医師は「なにが原因か判らないけどとりあえずCTだけでもとってみよう。
それに入院もしとこうね。」 
まずCTとってそれから採血と胸のレントゲン(入院に必要だから)  
診察室に戻ると医師がカルテの記載をしながら私に話す。      
Dr.「とりあえずお父さんすぐ来れないかな?なんらかの原因があると思うけど水頭症起こしてる。もしかしたらシャント(V-Pシャントの手術のこと)しないといけないかもしれないし・・・」
ただ事ではない!同じ病院に勤務する看護師の母親に詳しい話もなく、父親を呼べというのは・・
主人に連絡したがどうしてもはずせない仕事の為来れず。
おばあちゃんに入院に必要なものを届けてもらう。       
Dr.「MRIも今日撮ってもらうことにしたから、とりあえず入院して待ってて」
午後は休診である土曜に緊急でMRIまで撮ってくれるなんて普通はありえない。    
〈まんぼうじろう〉の水頭症がひどかったこともあるが、後から思えばCTですでに腫瘍がはっきりしていたのだ。

個室に入院、点滴ルート確保、入眠処置、MRI・・・   
このあとしばらく部屋で待つ・・・「何がおこってる?何?なんで?」       
ようやく部屋に脳外の医師がみえる。詰め所に呼ばれ病状説明。
シャーカステンにはMRIがかかっており、私が見ても異常な脳室のサイズ、異常な影

脳腫瘍

    8月2日午後

脳外の医師がシャーカステンの前に座り私とおばあちゃんも椅子に座る。その周りには小児科の医師達が私たちを囲んでいる。
脳外Dr.「松果体の辺りに腫瘍ができている。(後日、松果体ではなく中脳から発生していることがわかった。)
橋といわれるあたり、中脳水道を圧迫して水頭症をおこしている。
ここでシャントOPしても良いんだが、週明けに大学病院に転院してはどうだろう?
小児の腫瘍の専門家もいるし・・・。一番良いところで治療したほうが良いと思う。
それまでは点滴で脳圧のコントロールをしていきます。」
このような主旨の話だった。話の間中MRIから目が離れず、深夜明けという少々疲れた状態で、しかし何も聞き漏らしてはいけない、私がしっかりしなくては・・・
MRIを見つめながらも涙が止まらなかった。何度ぬぐっても涙がこぼれて止まらない。〈まんぼうじろう〉はMRIの時に使用したセルシン(安定剤)の影響か、脳圧亢進によるものか傾眠傾向。しかし、熟睡はできず点滴刺入部の痛みを訴え時々泣く。
私はその姿を見てはまた泣き、部屋をのぞきに来てくれる上司や同僚の顔を見ては泣く。
息子のリクエストで入院の荷物と一緒に絵本も持ってきてもらっていた。   
〈まんぼうじろう〉は落語絵本「じゅげむ」が大のお気に入りで、この頃は毎晩読みきかせをして寝せる習慣だった。それまでは子供が喜ぶのがうれしくて、登場人物の声色に変化をつけて面白おかしく読んでいたのに・・・この夜もせがまれて、読もうとしたのだが最初の行から涙があふれて読めなかった。「人の名前といいますものは・・それぞれ・・親の思いが込められておりまして・・・」
        『じゅげむ』冒頭より
この土曜日から大学病院に転院するまでの2泊3日、グリセオールの点滴をしてここで過ごす。

大学病院へ

8月4日(月)

大学病院への移動は救急車での搬送にしようということになり、10時40分出発。
私と小児科の若い先生が同乗。40分程度の移動時間中、まんぼうじろうは様子が気になり起き上がろうとして少しもじっとしていない。先生も私も、はらはらさせられる。
脳神経外科病棟の4人部屋に案内される。到着してすぐ、病棟医の診察。採血、点滴確保、胸、頭の単純X−P、ECG。動脈血の血液ガス分析も何度も穿刺してトライしたがヒットせず。
その後主治医であるH先生の診察。 バビンスキー反応陽性。
夜21時過ぎH先生より話あり    
水頭症はかなりシビアな状態であり、緊急で水頭症の改善を図りたい。明日緊急手術の扱いで内視鏡による第三脳室底開窓術を行う。    
それでも減圧がはかれなければシャント術もあわせて行う。   
来週中には血管造影と腫瘍摘出術を予定するが大きな手術となる為、事前にいろいろ準備が必要。
私は看護師であるが脳神経外科、小児科の経験は無い。しかし、水頭症のV−Pシャントは感染などのトラブルで何度も入れ替えなどが必要になるかも・・と思い内視鏡下第三脳室底開窓術だけでいければ・・・と願っていた。

第三脳室底開窓術

8月5日(火)

緊急手術でいつ呼ばれるか判らない為、朝から絶飲食。15時になりようやく呼ばれる。  
OP着に着替え小児用のストレッチャーで主治医のH先生とともにOP室へ。  
泣く事はないが落ち着かない様子で起き上がり進行方向をながめながら進む。  
OP室の自動ドアのところで別れる。この日のOPは内視鏡専門のN先生の執刀。術前に手術の方法、リスクについて話があった。17時半 手術終了の知らせ。看護師とともに迎えに行く。
自動ドアの前で待っていると子供より先にN先生が出てみえる。「予定どうりできました。」             
ありがとうございます。ただそれだけの気持ち。
脳圧を下げる為だけの手術ではあるが、場所が場所だけに 出血などあれば意識が戻らない事も・・・
と言われており、予定通りという言葉でホッとしました。術前に陽性だったバビンスキー反射はこの翌日消失。
この後2日間39℃台の発熱・・・。術後の抗生剤投与もしており、CRPの上昇も無い発熱であった。 
主治医もN医師も首をかしげていたが・・・。いまだに原因は?? 
急激な脳圧是正による体温調節機能の不均衡だったのかなぁ・・。と自己解釈。  

手術まで

8月11日

第三脳室底開窓術から数日の間は熱とけいれんが1回、喘息の小発作が1回あった程度で比較的落ち着いた日々だった。 脳圧の改善に伴い顔のひきつりは無くなり、食欲ももとどおりにもどる。
脳血管造影 手術のために血管の走行がどうなっているか、腫瘍の周りの血管を傷つけると重大な後遺症となる為,必須の検査。大人なら覚醒下で行われる検査だが小児の場合全身麻酔下で行われる。
朝から絶飲食のため前夜21時カップスープ一杯飲んでおく。
朝8時セニラン坐薬(鎮静剤)挿肛するが、全く寝る気配など無く、10時アンギオ室へ移動。 
12時半 病棟へ帰室。麻酔の切れもよく帰室時には全覚醒。 
「のどかわいた〜。かあさん、レモンティー飲みたいの、レモンウォーターちょうだい。」 
麻酔後の為、まだ飲水ができない間、ずっと言い続け4時間後の16時ようやく許可され飲水する。
子供の場合検査ひとつとっても全身麻酔となる。 眠ってできるのだから楽と言えば楽なのかもしれないが、
その前後の絶飲食は かなりの我慢が必要でありストレスとなる。


8月14日


手術前日 腫瘍摘出術は脳幹部へのアプローチということで感覚器のモニタリング、術中ナビゲーションシステムというものを使用するらしい。そのため前日にナビゲーション用のMRIを撮影する。
このMRIが地図となり、OP中医師の操作が何処まで達しているかの判断材料になる。
この日までまんぼうじろうの髪の毛は、内視鏡手術のときの3cm大に剃髪されていただけだったがマーキングが取れてはいけないと思い、病院内の床屋で坊主頭にしてもらった。
この子は幼稚園の頃からなかなかのオシャレさんで、寝癖がついていたら必ず自分で鏡を覗き込み水をつけて直すような子供だった。 床屋の椅子に座りおとなしくやってもらってはいるのだが、
鏡の中のどんどん刈られる自分の頭を 見て声も出さずにぽろぽろと涙を流す姿は忘れられない。
手術前日となるとにわかに周辺があわただしい。
回診の医師や看護師は「手術頑張ろうね。」と励ましてくれたり、 麻酔の担当医やICUの看護師の術前訪問があったり・・・。
そうなるといくら子供でも「ただ事でない・・・。手術って何だ?」ということになるらしい。 「かあさん、手術って・・。僕、おなかきるの?」 手術といわれれば「おなか」という発想はやはり子供。「おなかじゃないよ。頭にめんめちょができてるから、頭の手術だよ。」
我が家では赤ちゃんのときから耳垢も鼻くそもみんなめんめちょと呼んでいる。
以後も腫瘍のことは〈めんめちょ〉といっていた。
「えっ!頭、手術するの?頭手術したら死んじゃうよ。こわいよ〜。」
確かにこわいよ。かあさんだってこわいよ。でも、そんなこといえない。
「だいじょうぶだよ。先生、じょうずだから。死なないように手術するんだよ。」
夜になって家に電話すると言う。 
「ばぁば〜、僕、頭手術するんだって〜。こわいよ〜。」大きな目から涙がポロポロぽろぽろ たくさんこぼれた。

手術の説明

手術前夜主治医から手術の必要性、目的、方法、合併症についての説明がありました。
以下は固有名詞以外、説明文書の全文です。

説明書

患者氏名 まんぼうじろう
生年月目1997.○月○日
病状     歩行障害  
1.手術療法選択の背景とその必要性
 いままでの検査で脳の中に腫瘍を疑わせる病変があります。
腫瘍は基本的に増殖 する傾向があり、放置すれば腫瘍が大きくなり、
神経症状の悪化に引き続いて生命に 危険が及びますから、なんらかの
治療が必要です。
今回は以下の理由により手術(開 頭腫瘍摘出術)をする必要があると考えます。
腫瘍には良性のものから悪性のものまで色々あり、その種類により予後が異なります。
また、腫瘍の種類により、最もよい治療法が異なります。手術で多くとるほど、
 治療成績のいいものや、手術でとる量はあまり影響せず、むしろ化学療法や
放射線療法 といった別の治療が必要なものもあります。
腫瘍の種類は、これまでの検査である程度 予想していますが、最終的な結論は手術で
腫瘍を取って調べなけれぱわかりません。
従って、今回の手術の目的は、腫瘍を取ることと、腫瘍の種類を調べる(病理診断を得る)
ことの2つです。
腫瘍は原則として出来るだけ取りますが、危険性と必要性を考え た上で、部分的な
摘出にとどめる事があります。

2.危険性
 開頭腫瘍摘出術の危険性には、全身麻酔の危険性の他に、以下のような危険が
考えられます。
神経症状の悪化(手足の麻庫、失語など)の可能性が考えられます。
恒久的な障害(治らない障害)が残る可能性もあります。神経症状の悪化は、手術中に
(あるいは手術後に)、脳の損傷、脳の血流障害・脳腫脹(脳が非常にはれること)
・脳 梗塞・頭蓋内出血(脳出血など)などが起こる結果として起こるものと考えられます。
こうしたことにより、程度によっては、意識が戻らないことや生命に危険が及ぶといった
可能性があります。 その他の危険としては、大量出血が考えられます。 場合によっては、
輸血を行う必要が出てきますし生命に危険が及ぶ事があります。
手術後てんかん発作がおこる可能性があります。
また、手術後に創から脳内へ感染が起こる可能性があることです。
これが起こる可能性はそれほど高いものではありませんが起これば非常に危険です。
また、手術後に肺炎などの全身に対する感染がおこることがあります。
開頭術後に視カ障害をおこすことがあるといわれています。 頻度は高くありませんが、
術後、肺血栓・塞栓症がおこることがあり、 生命に危険が及ぶ可能性があります。

3.今回の手術で特に説明を要する事項
# 手術方法
 手術は全身麻酔下に行います。左を下にした側臥位の状態で頭部を固定し、
左後頭 部を中心に大きな弧状の皮膚切開を加えて行います。後頭骨を一時的に
取り外しま すが、これは腫瘍摘出後に戻します。腫瘍へのアプローチとしては、
大脳の両側後頭 葉の間のスペースを利用して行います。
左側の後頭葉を圧排しながら、小脳の上面に あるテントと呼ばれる膜組織を切開し、
腫瘍近傍に到達します。
水頭症は第3脳室底 開窓術の後軽快していますが、手術中の脳の圧迫などで圧の
コントロールが難しい場 合、脳室内にドレーンの挿入が必要になることもあります。
 腫瘍は上部脳幹である中脳の背側を占めていますが表面は正常の脳組織に覆わ
れていることが予測されます。
このため脳幹表面の組織を一部切開する必要が生じる 可能性が高いです。
腫瘍はグリオーマという神経組織そのものから出て来て境界が明 瞭でないもの
である可能性が高いため、高率に神経脱落症状が予測される全摘出術は
今回予定されていません。
腫瘍の嚢胞の部分を開放し、充実性の明らかに異常と思 われる場所を摘出して
病理診断を行います。止血などを確認して骨弁を戻し皮膚を縫 合します。
# 腫瘍の場所による合併症の特徴
 腫瘍は中脳の左側に位置しています。中脳はその中心に意識中枢が位置するため、
ダメージを受けると重篤な意識障害を呈します。恐らく意識を司る最重要部分は腫瘍よりも
腹側に位置するため、腫瘍摘出時に深部に至らない様十分な注意を払います。
しかし脳幹の手術の後で一時的にでも閉じ込め症候群や無言症などの意識障害をきたす
例はあります。
今回腫瘍に到達するために切開が必要になると思われる中脳の背側には、眼球運動、
 特に追視機能や瞳孔のサイズの調節、対光反射の経路が走っているためそれらが影響を
 受ける可能性があります。聴覚の伝導路も通っているため聴覚の異常、また音のする方向
 に首を向けるなどの反射的な動きが障害される可能性もあります。 
聴覚や感覚の機能に関しては、今回の手術では電気生理学的にモニターをしながら行います。 運動神経の線維は最も腹側を走っているためその直接的な障害による運動麻痺は
一般的には 起こりにくいと思われますが、腫瘍の場所は脳幹と小脳の連絡路にもかかって
いるので、 失調などバランスの障害が特に左側に出る可能性があります。 
手術アプローチに際しては、後頭葉の圧排が必要になりますので、術後例えば右半分
などの 視野障害が出ることがあります。
 一時的なものも含めると視野障害はこの手術法では比較的多い合併症です。 
また脳の深部を環流する非常に太い静脈が腫瘍到達までに確認されますので、
これらを損傷 しない様最大の注意を払いながら行います。 
この深部静脈からの出血や閉塞を生じると生命の危険にも関わるからです。

   平成○年8月○日   

         脳神経外科   医師    ○×△□

 


説明はまんぼう父と私の二人で聞いた。
以上の内容に過不足なく、医師の説明は、慎重かつ冷静で私たちの質問事項にも丁寧に答えてくださった。
しかし、致命的な合併症や重篤な障害の危険を持つ手術であり、
私たちの不安は増すばかりであった。
手術の予定時間は?の問いに医師は「朝一番に手術室に入っても、麻酔やナビゲーション、モニターの設定だけでも昼近くまでかかります。時間がかかっても、それは丁寧にやっていると思ってもらったらいいです。」という返答。
全く安心はできないが、この医師は信頼するに足る人物であり、任せるしかないと思った。

手術の日

8月15日

朝8時30分手術着に着替え主治医、看護師に付き添われ脳神経外科病棟を出棟。    
出棟前に安定剤のセニラン坐薬挿肛しているが全く眠る様子なく、落ち着かず何度も起き上がろうとする。
エレベーターを上がると、すぐOP室の自動ドアの前。ここからは家族は入れない清潔区域。ここまでは何とか泣かずにいたが、私から離れると、泣き出している事はわかった。
私の手の中から行ってしまった。後は医師たちを信頼して、待つのみ。
先生は、昨日はゆっくり睡眠はとられただろうか・・・。そんな事を考えていた。

病棟に戻るとすぐに個室への部屋移動、OP後ICUに入る予定だが、入れない場合ここに帰ってくるため。
ここの病院では親が付き添いをしている。今日、まんぼうじろうの手術だと知って、
同様の経験のあるお母さん達が、励ましてくれる。「手術中の様子は何にもわからないけど、知らせがないって事は、順調な証拠。ウチの時は消灯は過ぎてた。日付が変わった人もいるよ。」解ってはいることだが、同じ時間を経験した人の言葉は説得力もあり、素直にうけとめれる。
この時間はTVをつけても本をひろげても、落ち着かず、いっそ寝てしまおうかとも思ったがそれもできず。
時間がかかる事は覚悟している。何らかのトラブルがあれば即、命にかかわる。
障害がのこるかも・・・、障害が残ってもいいよ。早く私の手元へ帰っておいで。どうかあの子を無事に返してください。そんなことばかり考え、泣くまいと思っても怖くて怖くて泣いていた。
19時半「手術終わりました。ICUへ面会お願いします。」と声がかかる。
手術室に入ってから11時間、思っていたより早い。薄暗い外来棟を通りICUへ向かう。

インターフォンで名前を告げて中に入り、専用のガウンを着ていると主治医がみえる。
「予定通りの手術ができました。明らかな出血もしませんでしたし、腫瘍の6〜7割はとれました。
塊ではなくほとんどが吸引できるようなドロドロしたものでした。とり過ぎて正常なところに達しないよう感覚器モニターで確認しながら進行しました。
術中の病理検査では、悪性というだけで、詳細は後日になります。
今の段階で、目の動きも、音の聞こえも問題ない。抜管(気管内チューブ)もでき、ベストだと思います。」
顕微鏡を覗いていたせいで、明らかに充血した目の主治医は、穏やかにいわれた。
このお顔を見て一安心。
ベッドに近づくとすぐに私に気づき、「かあさん、のどがかわいた。お水ちょうだい。のどがかわいた〜。」この半月の間に、三回目の全身麻酔。少々、声がかれているが前2回の麻酔後と同じ訴え方。
まだ、CVラインとAライン、もろもろのモニタリングはしているが、安定している。

      ありがとうございます。この子を返してくれて・・。
      この晩ICUに一泊したのみで翌日午前中ICU退室する。              

術後

術後は2〜3日間は臥床安静、その後1日更新でベッドをギャッジアップしていった。
痛みもあり一週間くらいは自力で首を横にする事もできなかったが、徐々にうごかせるようになった。
5日目には立ち上がる事もでき、個室から4人床に移動した。
後頭部に大きな馬蹄型の傷跡がありその周囲から耳たぶ、首にかけて術後の腫れで一週間くらい腫れていたが、それも時間とともに解消していった。
この頃が彼の闘病生活の中で最もよく食べた時期。脳浮腫の予防の為、グリセリン製剤とともにステロイドの点滴が入っていたためだろう。
小児科と違って特に食事の制限はなく、大好きな納豆、お好み焼き、アイスクリームなど何でも食べた。この後化学療法が始まれば、加熱食しか食べられない事はわかっていたので、自由に食べさせた。その頃の写真を見ると術後とは思えないほどの血色のいい丸々した顔。
坊主頭に作務衣を着ると修行中の小坊主さん。

脳神経外科病棟はほとんどが成人の患者で子供は3〜4人。低学年までは男の子も女の子も混合、一緒にビデオを見たり折り紙をしたり・・。風船バレーやベッドの上からの魚釣り(ゆかに置いた魚を釣る)は子供たちに大人気。親達は子供の喜ぶ顔が見たくて、遊びの開発に取り組む。術後とはいっても傷の痛みさえなければ、食べれるし、遊べるし一番楽な時期ではあった。