|
これがまんぼうじろうの病理診断名です。 これだけでも絶望的な告知でしたが更にまんぼうじろうのような中脳原発のPNETは検索してもほとんど症例報告もないほど稀で、当然生存例が確認できないということでした。
この時点ではこれ以上の情報は得られなかったのですが・・。 |
2003年9月9日 |
脳神経外科主治医より「最終的な病理診断は今、G大のN先生のレポートを待っている。治療の時期が遅れてもいけないので、化学療法の方針について小児科のK先生に話し、小児外科にCVカテーテル(ブロビアック)の依頼をした。」と説明を受ける。 G大のN先生は神経病理の第一人者ということで、診断に迷うような症例については相談をするということ。 |
||||||||||||||||||
|
11日(木) |
OP室、全身麻酔下でCVカテーテル挿入。 |
||||||||||||||||||
|
12日(金) |
小児科転科、小児病棟へ転棟。
夕方になってから小児科担当医グループより今後の治療について説明がある。 |
||||||||||||||||||
|
13日〜15日 |
化学療法に入る前ということで2泊外泊。 |
||||||||||||||||||
|
16日(火)〜20日 |
化学療法レジメン1
|
||||||||||||||||||
|
10月7日9日 |
末梢血幹細胞採取(ハーベスト) |
||||||||||||||||||
レジメン1での効果判定 |
8月の腫瘍摘出後2cm大だったものが1.6cm大、レスポンスはあるが充分でない。レスポンスの良いものであればこの1回の治療で消えてしまう事もあるということは、後に聞いた。 |
||||||||||||||||||
小児科病棟 |
常時30床程度の入院患児のうち半分程度が血液、固形腫等の悪性疾患の子供。化学療法を受ける子供たちの管理の為、病棟にはガラスの扉がありそこから先へは15歳以下の子供は入れない。骨髄回復期には扉の外の食堂などで兄弟との面会ができるが入院患児は売店へいくことも禁止されているので検査や他科受診以外に外に出る事はほとんどない。病棟内に院内学級が併設されていて、勉強のほかいろいろな行事、レクリエーションなど先生方は工夫をしてくれている。 |
||||||||||||||||||
またまた脳外科病棟へ |
このプロトコールで次は放射線療法 |
放射線療法の概要 |
まんぼうじろうの場合 |
|
放射線照射期間中週一回オンコビン1.2mg静注も併用 |
2003年10月16日 |
放射線科受診 「これまでは放射線照射による成長障害などを最小限にするため、ここの施設では髄芽腫に対して初回治療として全脊髄照射は行っていなかった。しかし、他の施設の成績などからやはり全脊髄への照射も行った方が成績がよいのではないかということになり、ここ1年位でやるようになった。こういう病気になって今まで長生きした子はいないから、どうなるかなんてわからない。最初のうちは放射線宿酔といって吐き気などあるがそのうち慣れる。」 早口で淡々と言われる。診察といっても患児の顔を見るわけでもなく、母親に説明するだけの時間。 「長生きした子はいない。」辛い言葉でした。 |
||||||||
17日 |
照射部確認、決定の為の計測、CT 結局シェルの作成はあきらめ、毎回照射中に顔を動かさないかハラハラさせられることになった。 |
||||||||
21日〜 |
全脳1.8Gy/日、全脊髄1.8Gy/日で照射開始。
当初から言われていた、放射線宿酔は慣れるものではなく照射回数が増すごとに悪化していく。 |
||||||||
11月7日 |
全脳、全脊髄はこの日まで。 |
||||||||
10日 |
この日から後頭蓋窩照射。 |
||||||||
21日 |
この日から腫瘍部照射。
頭の中から本人だけがにおう焦げ臭さってどんなだろう? |
||||||||
12月9日 |
照射終了。
|
||||||||
11日 |
放射線療法後、評価の為MRI
腫瘍は消えなかった。腫瘍径1.5cm |
||||||||
|
照射は何とか予定通り終了。 |
|||||||||
12月20日 |
退院。
めずらしく大雪の日になった。 |
|
2003年末〜2004年始は自宅で過ごす。 |
|
2004年1月8日 |
化学療法レジメン2施行目的で再入院。 |
|
この日から籍をそのままにしておいた院内学級に登校し始める。 |
|
|
脳外主治医と今後の治療について話をする。 |
|
この子が入院するまで私が勤務していたのは成人の血液内科だった。 造血器移植を担う病棟では移植が必要な患者が続く場合クリーンルームの確保、稼動スケジュールに苦慮する場合がある。 |
2004年1月13日〜17日 |
|
||||||||||||||||||
|
今回、化療はイフォマイドの副作用、出血性膀胱炎予防の為水分負荷、利尿剤がしっかり入り一回尿量が少ないまんぼうじろうは30分〜1時間ごとにおしっこの為起きなければならず、持続した睡眠がとれない。特にベプシド(VP−16)が入っている間は倦怠感が強く、ウトウトしている事が多い。吐き気も強くほとんど食べれない。 |
|||||||||||||||||||
1月18日 |
7歳の誕生日。 |
||||||||||||||||||
1月25日 |
ようやく少し食欲出てきた。夕食前に始まったPC(血小板輸血)で急激な咳、口唇チアノーゼ出現。その後全身の膨隆疹。医師の診察は無く、On Callのみで吸入、クロールトリメトン、ソル・メドロール、点滴静注にて一旦は症状改善するが、PC再開し、再度膨隆疹出現。深夜1時半また、吸入、ソルメド、クロトリ、施行。当直の医師いるはずなのにね。一度も診察なしでした。 |
|
小児病棟の師長さんから案内のリーフレットをもらっていた(後に小児科主治医K医師が私たちに知らせる為師長さんにメッセンジャーになってもらったとわかる。) |
|
リーフレットには第二部の各論で髄芽腫とともにPNETが明記されていた。まんぼうじろうの付き添いをばぁばに交替してもらって、夫と二人で行く事にした。 |
|
講演の内容は小児脳腫瘍コンソーシアムのHPに準ずるのでココでは省略するが、過去10年の治療成績に基づいた実績・Dataを示され、大量療法によって無病生存している症例があることがわかった。これまで「この病気になった時点で、レ・ミゼラブル・・。」といわれていた私たちに一筋の光が与えられた。 ココでA先生と話した内容、助言された事を自分の口から主治医に間違いなく伝える事ができるか?、最善の方法だと信じてやってくれている主治医たちに失礼に当たるのではないか?そんな気持ちがあり率直にA先生に言った。 不安そうに困っている私にA先生は「小児科主治医の○○先生の事は知ってるし、今日こうやって相談を受けて、助言した事をメールで伝えてあげようか?」といって下さり、後日小児科主治医宛にメールが届いたそうだ。 標準的治療が確立されていない小児脳腫瘍の場合、治療施設、グループ、医師の経験値によって意見はわかれる。 帰りの車中、夫も私もやや興奮気味に、明るく多弁だった。 |
|
主治医たちへ相談 |
翌日には小児科、脳外科、それぞれの主治医にこの内容を話し、希望を伝える。 |
2月13日 |
カンファレンス |
|
「御家族がこの段階で大量療法になる事に不安を持って見えるのはよくわかります。そこで、いろいろ検討した結果、レスポンスがあった最初の治療を一回追加してその後大量療法をしてみてはどうかという意見になったわけです。」 |
|
先生方の考えとしては、プロトコールを最後まで行ってみないと最終的な判断が出来ないから、追加するとしてもレジメ1を一回だけというニュアンス。 ここで、脳外の助教授が「御家族も私たちも、一番いい方法を見つけたいというのは同じ。A先生と先日の脳腫瘍フォーラムでお話された時は、資料も何も無かったわけだから一度資料を持ってセカンドオピニオンの意見を聞きにいかれてはどうですか?」と提案してくださった。
私自身が提示された治療内容を納得できていないので、セカンドオピニオンを受けに行くことにした。 |
先日のフォーラムでのお礼と御挨拶はそこそこに。 持参した紹介状、プロトコールの詳細、MRIに目を通される。「これはホントにPNETで診断はついてるの?造影で増強されてこないとか、化学療法にレスポンスが悪いことなど、ちょっと変わってますね。でも、まあ病理でそういう診断がされているならそれにしたがって考えるしかないですね。」 |
|
|
「本当にレスポンスが良いものなら1クールで消えてしまうものもある。レジメ1は効いたといっても確かにあんまりぱっとしませんね。同じ種類の薬でも薬によって効き方は違うのでメニューを変えてもいいかもしれない。」 |
|
|
この受診を前に家族の意見は一致していた。 |
|
|
転院の希望である事をA先生に伝える。 |
|
|
|
|
|
この時点で、本当はA先生のみえるこの病院で治療したいという希望は強かった。関連病院とはいっても信頼している先生の元ではないということは不安だった。しかし先生の言われるとおり時間の余裕はない。後は先生の判断にお任せするしかないので、調整をお願いして帰路についた。 |
|
|
帰りの車中、A先生よりメールあり。「来週、遅くとも再来週中には関連の○○病院でベッドの都合が出来そうです。もう一度主治医と話されてそれでも転院の意思が変わらなければ御連絡下さい。」という内容。 |