大量療法

2004年4月15日

朝早くから公衆電話で携帯に電話かけてくる。夜中に何度もおしっこが間に合わず、パンツがなくなったと半ベソ。
前日から水分負荷のため点滴が増量しており、さらに蓄尿のため自分で尿器に取らなければならず、無理も無い。

 

大量療法MENU(日程)

Date

4/15

16

.

.

22

23

.

.

27

 

day *

-12

-11

 

 

-5

-4

 

 

0(auto-PBSCT)

 

TEPA  200mg/m2/day

 

 

 

 

 

 

L-PAM  70mg/m2/day

 

 

 

 

 

 

 *一般に移植日をday 0 という。

10時頃から治療薬投与開始。データーが下がってくるまでは大部屋で可能ということでまだ4人床。昼食は私の介助で主食のみ全量。夕食は主食5割、副食2割。夕方はほかの子とゲームボーイケーブルでつないで4人バトル。楽しめるだけ余裕あり。吐き気はあるが嘔吐することなかった。痙攣予防のため本日よりセレニカR内服開始。
この日より夜間休息取れるよう、パンツオムツ使用。

16日

WBC 3060 好中球 1400 Hgb 9.7 Plc. 26.1
朝食は主食のみ2割。午前のみ学校に行くが午後はダウン。
昼は吐き気で食べられず、昨日とはぜんぜん違い友達と遊ぶ元気ない。「しんどい。」の繰り返し。夕食前にカイトリル追加してもらうが主食3割食べて嘔吐。痙攣予防のセレニカR飲むと眠くなり早めに就寝。辛いときは眠って過ごしたほうがいい。

一昨日のPETの結果の話あり。
結局、小脳や脳幹はもともと血流が盛んなところで、一部赤く描画されてくるところは、正常で良いという判断。腫瘍部そのものは赤くなってきていない。ということらしい。
今回初めてのPETだったので比較できないが、移植後の評価の材料にはなりそう。

17日〜18日

なぜかこの2日間の日記が記載していない。なんでだったかな〜。
気分的に滅入ってたと思う。そういうときこそ文章に残せば良いものを・・。

19日

WBC 880 好中球 660 Hgb 9.4 Plc 16.6 AST 70 ALT 65 LDH 313
この日個室へ移動。ドアを入ってすぐに滅菌水の出る手洗い装置があり、アクセスカーテンがある。壁型のアイソレーターではなく大部屋で使っていたのと同じ移動式のアイソレーターが設置されている。ここではクリーンルームの規制は比較的緩やかで、ハンドソープでの手洗いと家族は持参のかっぽうぎを着用するのみで入室は許可される。医師は手洗いのみでマスクの着用もしていない、ということ。これでも特に大きな問題が発生するわけでもなく、古いしきたりのようにクリーンルーム管理している他施設があることを思えば患者はもちろん家族にとっても、スタッフにとってもやりやすいと感じた。
シャワー浴をしてじろは入室。他の友達に会えないことは残念だが、本人的にはTVの音量を気にすることも無く、補食もできることからうれしい様子。
ゲームの攻略本を持ってきたら、熱心に読みゲームもやれる。吐き気強く朝、昼、おやつは食べれず。夕食もご飯3口メロン3口のみ。
歯磨き、うがいでも嘔吐反射。
この日からじろが寝つくまでの面会延長は認められるが、泊まりはまだ許可されない。

20日

朝食未摂取。内緒でチョコビあげると2ヶ食べる。昼食は持参の豚汁1/2杯。ご飯2口。
夕食マックのポテトS8割、ナゲット3ヶ。ジュース野菜生活150ml。こんなん食べたら吐くなぁ〜とは思ったけど、希望だったので・・。案の定、はみがきとうがいの後ほぼ全量嘔吐。
その後下痢もあり。粘膜障害出てきた。

21日

WBC 540 好中球 469 Hgb 8.6 Plc. 10.9 LDH 320
口腔内はきれいで口内炎もできていないが、嚥下時痛あり。バクタ飲んでは吐き、再投与で吐き、3回目でようやく飲める。

22日

この日から2日間また治療薬入る。

貧血亢進のため、MAP2単位。
おしっこは1回60〜80ml、30分とたたないうちに尿意あり。
この日口から摂取したのは「ウィーダーインゼリー2口、プリン1口」のみ。
セレニカRの内服再開となるが、嘔吐し2回目で飲める。

23日

WBC 80 好中球 60 Hgb 11.7 Plc 7.5
朝9時に面会に行くがまだ起きていない。夜間2回下痢したと深夜の看護師の情報。薬は吐き気が強くまたまた嘔吐。もう内服は無理そうということで中止し、抗真菌剤、抗痙攣剤は点滴に変更。ビデオを借りてきてほしいというため、出かけている間に2回下痢したと起こっている。仮面ライダークウガとウルころのビデオ見ると、ちょっと機嫌回復。二人でトランプする。
口腔内〜咽頭部の腫脹強く唾液すら飲み込めず、常にガーグルベースンに出すか、ティッシュで拭いている。このため口唇が荒れてきてリップクリームが欠かせなくなる。
熱がではじめた。悪寒はないが38.1℃、抗生剤変更となる。

24日

この日の10時でTEPA終了。フェノバール入っているため、うとうとしている。
口腔内の灼熱感と粘膜の肥厚でしゃべりにくい。頬も腫れてきた。うがいと歯磨きで嘔吐反射あるが何とかやらせてくれる。
下痢は回数は3回と少ないが、オムツからはみ出すほど大量で黄茶色の水様便。ビデオは一時間くらい見れるが眠っていることが多い。叔母からカービィーの新しいゲームソフト届き、喜ぶが30分やるのが精一杯。

25日

WBC 100 好中球 24 Hgb 10.8Plc 2.6 CRP 3.29↑
下痢が続いており、左の臀部赤くなってきた。洗うとしみて痛がる。プロペト軟膏処方される。下痢緑色水様、3回あり。腹痛を訴える頻度多くなる。

26日

WBC 20 好中球 0 Hgb 10.7 Plc 1.5 CRP 3.47
洗浄PC-10(アタP前うちあり)
臀部の発赤は横ばいだが両ソケイ部も赤くただれてきた。オムツかぶれというより薬剤による皮膚障害。全身の皮膚触るだけで痛がる。吐き気は少し改善し嘔吐は1回。
今日は少し表情良い。しんちゃんのマンガ少し読む。

全く経口摂取できていないので、本日より高カロリー輸液と、補液量追加。

アルブミン製剤も入る。

ようやく明日PBSCT!!

移植

2004年4月27日
(Day 0)

チェック表を見ると昨夜22時から朝10時まで下痢6回。
熱40℃。本日day0、輸注の準備のため心電図モニターがベッドサイドに運び込まれたり、輸注用末梢ルート確保のため、少々あわただしいが本人は熱でぐったりしているのみ。day-12からこの日までは私にとって本当に長く感じられた。

輸注副作用防止のための前投薬としてステロイド、抗ヒスタミン薬が入り、熱は38.5℃まで下がる。
移植というと大げさな印象だが、凍結保存されていた本人の幹細胞(見た目にはただの赤い血)を解凍し、注射器で静脈注射するだけのことである。保存のために添加されている処理剤に対するアレルギー反応がたまにあるそうで、血圧チェックや心電図モニターなどの監視が強化される。
じろは輸注後も特に変化なく終了。はやくモニターをはずしてくれとぐずっていたが、しばらくはそのまま。
ソケイ部から両方のおしりにかけて皮膚あれは続いている。薬を飲むとき以外ほとんど起き上がることがなくなり、オムツはテープ式のものにかえる。
口内炎ができていないのは幸いだが、口腔粘膜は腫れあがりほとんどしゃべれない。21時半入眠。
抗がん剤が入っているときは強い吐き気や、倦怠感などあるが、本当に辛いのはここから。骨髄機能が回復するまでの2週間ほどは感染症や出血など、要注意。

28日

WBC 10 Hgb 10.4 Plc 5.4 CRP 2.59

7時病院着。昨夜私が帰った22時から朝までに下痢5回。朝5時半くらいに起きて「かあさ〜ん」と泣いていたとの事。
そろそろ泊まりたいけど、やはり許可出ず。よるほとんど寝てないせいか、すぐにウトウトしていく。私がいる時間のほうが安心感があるためだろうけど、夜眠れないほうが本人がかわいそう。
熱39.2℃→38.3℃
アルブミン製剤入る。
熱、下痢で脱水になるといけないということで補液が増え、SpO2モニター装着。ビデオ「トイストーリー」観ながら寝る。

29日

WBC 0 Hgb 9.4 Plc 3.3 CRP 2.86

熱は38℃台が続いている。抗がん剤の影響で全身の皮膚が炎症を起こし赤くなっていたが、色素沈着してきてブロンズ色になってきた。髪の毛は元から無いが、まつげも眉毛も全部抜けてしまった。下痢続いており、補液ユニカリックN 60ml/h ソリタT3 80ml/hにUP。
アルブミン製剤2本、ガンマガード5g

30日

WBc 20 Hgb 8.7 Plc 1.6 CRP 2.58
PC-10 MAP 2単位

熱38.0℃→39.1℃
もう何日も唾液が飲み込めず口角からドロッとした粘調な唾液を出し続けているため、口周囲の皮膚あれ強くなってきた。チューブで吸引しなるべくだらだら出さないように言い聞かせる。うがいも嘔吐反射を助長するのでかわいそうだが、口腔内が不潔になりやすいので、頑張って行う。しかし、この反射で強く「オエ〜」となり、うがいの中に血液混入。咽頭部に傷がついたか?左鼻出血もするが、Nrにボスミン綿球入れてもらいすぐ止血する。下痢は更に回数も量も増え、緑色水様便。前回取った便培養から緑膿菌でたということで、抗生剤ファーストシンに変更。
HR 140 SpO2 99〜100%

5月1日

wbc 0 Hgb 11.3 Plc 4.6 CRP 2.35

熱は38.4℃。連日の高熱のため38℃台ならそれほど辛そうでもない。CRPが下がってきたことと、昨日血小板もMAPも入っていることで今日は落ち着いた日になるかと思っていたら・・。
午後になり昨日とは反対の右の鼻からの出血。Nrと小児血内のM先生で乾綿球、ボスミン綿球で止血試みるが全く止まらず。挿入した綿球はどんどん血で染まっていくし、綿球をいくら交換しても溢れ出てくる。のどのほうに流れた血がたまって口から血の塊を吐き出す。軽くガーグルベースン一杯以上の出血。血小板も昨日入ってるし、「止まってくれ〜。」と思っていたら、NrのHさんが「今日、休みだけどちょうど病棟にいた耳鼻科のW先生捕まえたから、もうすぐ来てくれるはず・・。もうすこしやで〜。まっとってな〜。」と。その後すぐW先生到着し、処置が始まった。キーゼルバッハ部位からの出血ということであった。
「僕はいくつやったかなぁ〜。ちぃが止まるようにしたるからなぁ。痛いけどがんばるんやで〜。」出血点を確認し軟膏をつけたガーゼをグイグイ詰めていく。目をつぶったまま涙は浮かべていたが、泣き叫ぶことも無く時々「痛い。」という程度。更にW先生「君、つよいなぁ。こんなんされたら、大人だって泣くんやで。さすが男の子やなぁ・・。」と本人をねぎらう言葉も忘れず、処置をつづけられる。鼻の形が変わるほど、詰められた軟膏ガーゼは傷口が治るまで3日間入れておく事となった。ゴールデンウィーク中であるにもかかわらず、小児血液の医師は皆、毎日かわるがわる見に来てくれ、こういった突発事項でもすばやく対応してもらえることはありがたい。それに小児科医だけではなく、他科の医師もちゃんと子供への言葉がけなどされ、いい病院だとつくづく思う。
鼻汁の分泌を抑えるためポララミンを静注されその後夕寝。臨時でPC-10も追加となり、前ウチのアタPが入り夜も早めに入眠。

2日

鼻のガーゼは辛そうだが再出血ない。熱は38.4℃

3日
( Day 6)

WBC 0 Hgb 9.6 Plc 6.6

昼間付き添いをばぁばと交替し夜の付き添いの許可が出る。夜の時間がかわいそうだったので、そばにいられるだけでちょっと安心。
医師も看護師も「お母さんが疲れて倒れたら大変だから、頑張りすぎないで・・。」と私を心配していってくれる。私自身、看護師として働いていたときは付き添い家族に同じように声賭けをしていた。しかし、我が子のこととなるとやはり冷静ではいられなくなる。「私が今頑張らなくていつがんばるの!?」と言葉にして担当Nrにかみついた。担当さんは経験も十分な柔軟な人なので私のしたいようにわがままを見逃してくれたり・・。助かりました。
目の前で苦しんでいるじろの姿を見つめて「こんな攻めの治療を選択したのは私だ。家族と遠くはなれた場所でこの治療を受けさせたのはホントに良かったんだろうか?」と後ろ向きなことばかり考えていた。今だから笑って話せることだけど・・、この時期(更にこの後もっと)悲惨でした。

合併症

5月4日
( Day 7)

ゴールデンウィークの間、家族が大阪滞在している。

この日、昼間の付き添いをばぁばに交替してもらい、長男たろをつれて大阪観光。
ずいぶんたろには寂しい思いをさせているので、二人の時間つくる。海遊館、観覧車、なんば、など廻って19時半病院へ戻る。

部屋に入ってみるとじろが悪寒でがたがた震えている。モニター見るとHR180。熱40.5℃。
ばぁば:「夕方からどんどん熱上がってきて、これ(SpO2+HRモニター)ずっと鳴ってて、看護婦さん見に来て先生に報告するって言ってたけど、どんどん辛そうになってきた。さっきまで少しはしゃべってたんだけど・・。」
昼間は耳鼻科の往診があったが、まだコメガーゼを抜くとじわじわ出血するとかで、再挿入したらしい。前回CVのルート交換が4/26だったので多分今日あたりルート交換してもらえると思うとばぁばに伝えてあったのだが、「してないよ。」と。
なに〜。一日部屋空けただけでこの様子!立ち上がり前の一番感染が怖い時期にどうしてこうなるの?無性に腹が立った。
準夜担当の看護師が点滴の交換に部屋にきた時言った。「夕方から熱発してこんな状態なのに血培も取ってないし、CVルートも一週間以上交換していない。どういうことですか?そんなことすら自己申告しないとやってもらえないの?」あんまり怒れて涙が出てきた。
私のあまりの勢いに看護師は口数少なく「もう一度先生に確認してみます。」といって詰め所に戻っていった。しばらくして当直だった血液の先生と看護師がルート交換と、血培の準備をしてやってきた。「確かに前回の発熱から少し時期が経っているので、抗生剤をひとつ追加して4剤で行きます。」今日現在、抗生剤はミノマイ、カルベニン、ファーストシンが施行されており、それ以外に抗真菌剤のジフルカン、ヘルペス予防にゾビラックスが入っている。
これにもう一剤ペントシリンを追加するという。
ん〜。これってあり?どうも釈然としない。自分の経験上、移植時の熱型は感染を重症化させないため要注意であり、抗生剤投与中の再上昇は薬の迅速な変更というのが基本であった。感受性の無いものをダラダラ使用することによって、菌に耐性がついてしまう。とにかく夜勤帯でそんなことを主張していても仕方が無いから明朝もう一度担当医に聞いてみよう。この日の夜中はHRは経時的に上昇し180〜200、アラームは鳴りっぱなし。この夜のCRP 3

5日

朝、担当医に昨日からの様子と疑問に思っていることを聞いてみる。前回の培養でペントシリンに感受性があるのでこれでよいと思っていると言われる。説明を受けてもまだ自分の中で納得がいかない。昨日の培養結果が出る間で待って、タイミングとしては遅くないか?
その後主治医の先生がみえる。「お母さんが看護婦さんなので気になることはあると思うが、昨日も培養や抗生剤の追加など必要なことはやっていると思う。感染はもちろんあるが、この熱は立ち上がりの時期に一致しているのでサイトカイン関連も考えられる。」という内容のことを言われる。それって、私が怒り出したからやったんじゃないの?と、またまた怒り!こみ上げてくる。ん〜、でもこれ以上医師に噛み付いても心証悪くするだけ。とりあえず抗生剤見直すと言うことなので、これ以上はいわないことにする。この日からタゴシッド、ファーストシン、ペントシリンの3剤になる。
今、思えばもう少し冷静に相談する相手を考えて、聞いていたら自分も怒りスパイラルに入らなくて済んだと思うのだけれど、このときにはそんな余裕が無かった。今思い返すだけで恥ずかしいけれど、自分もいっぱいいっぱいだった。

朝CRP 8.98 →夜CRP 11.33
Plc.昨夜5万→ 今朝2.7万→ 夕1.6万
夜までずっと傾眠。時々うつろに目を開くが発語も無い。
熱は42度が最高で下がっても40度、HR180〜200は変わらず。
この夜はT先生が遅くまで残っていろいろ対応してくれる。これまであまり関わり無かったけど、こういう辛いときにいろいろしてもらえると頼りになる。大柄な男性の先生だが、「じろくん、点滴もう一本させてなぁ〜。先生点滴下手なんやけど・・。がんばってなぁ〜。」と優しく言われる。そんなこと言わなくてもいいのに〜と思うが、この先生診察は丁寧、納得いくまで説明してくださり、なによりじろへの言葉がけが優しいので好感度UP。体液量増加予防のため水は引き気味にしているが、腎血流量を保つため、夜からイノバン1.5ガンマで開始となる。血小板も下がってきているため夜間緊急で洗浄PC−10,FFP2単位入る。
前ウチのアタPで少しうつらうつらするが、その間も呼吸はあえぎ様、腹痛も増強し、21時30分鎮痛剤(レペタン)使ってもらう。
しばらくすると痛みがおさまりビデオ見たいという。仮面ライダークウガのビデオ見ながら、ウトウト眠っていく。

熱38.9℃
結膜がやや黄色みを帯びているのが気になる。
家族は明日から学校と仕事のため、地元に帰る。

6日

一時間くらいはぐっすり眠るが「おなかが痛い!」と目覚めてしまう。熱40.1度
熱が上がってくると心拍数も170〜180を超え、サチレーションモニターが鳴りつづける。痛みは周期的であるため間にはウトウトするのだが、30分〜1時間毎に痛みで目覚める。レペタンは6時間以上はあけたいという事で朝方4時20分になり点滴してもらう。熱も40℃台から下がらず9時に解熱剤の点滴、下がっても38.6℃。
耳鼻科往診。1日から止血のために挿入していたコメガーゼ除去してもらう。
この日から意識が混濁し寝言、うわごとが多くなる。「それ、それみせて。いまもってたの・・。あっ、いいわ、なんにも。ううん、わかんない。おかあさんにきいてみて・・。」ほとんど意味不明な発語。問いかけに対しては目がうつろでわかっているのか、わかっていないのかうなづいたり首を振ってみたりするのみ。この日レペタン2回使用。

 

点滴内容(5/6現在)

       

検査データー

ユニカリックN 60ml/h
ソリタT3 80ml/h
イノバン 1.5γ
ガスター(10)×2
強ミノ(20)×1
グラン(225)×1
タゴシッド×3
ペントシリン×3
ファーストシン(0.6)×3
ジフルカン(200)×1
ゾビラックス(90)×2
ベニロン(2.5)×2
アンスロビンP
25%アルブミン×2
ラシックス×1

            

 

wbc

160

好中球

26%

Hb

9.1

PLC

4.0

AST

33

ALT

30

LDH

336

γ-GTP

115

TP

4.6

Alb

2.9

T-Bill

3.3

AT-V

69

CRP

16.12

7日
(Day 10)

前夜から繰り返し腹痛で泣いている。鎮痛剤は6時間以上間隔をあけなければならず、さすったりあやしたりして痛みが落ち着くのを待つ。少しはウトウトするが、痛みで起きてしまう。
0時レペタン点滴。

WBC

330

好中球

217

Hb

8.4

Plc

1.6

AST

29

ALT

23

LDH

225

CRP

18.89

T.Bill

2.6

昼間は緑色水様便に黒い岩のリが混入したような便であったが、夜になり卵大の血の塊が1個混入。PC−10が入った後、改善。
Map 2単位、PC−10,アルブミンラシックス入る。
SPO2 95〜100%
熱は38℃。

8日

朝5時、腹痛でレペタン点滴。
排便頻回。腹痛を伴いタール便。
熱は38度台で何とか落ち着いている。

WBC

600

好中球

231

Hgb

11.3

Plc

3.5

AST

18

ALT

19

LDH

223

CRP

11.53

T.Bill

3.2

下肢、体幹、後頚部に浮腫が出てきた。本日もアルブミン、ラシックス投与され、夜になり浮腫は若干改善。
全身が皮膚障害の後の色素沈着のためか、黄疸によるものか(多分両方)ブロンズ色。
SPO2 97〜100% HR 110

9日

 

WBC

1500

好中球

71.4%

Hgb

10.9

Plc

1.4

AST

17

ALT

13

LDH

225

CRP

6.0

T.Bill

3.0

エンビラ解除!G-CSF続行中とはいえ、好中球が湧いてきたら、CRPも下がってきた。
血小板はまだ低値。左鼻出血あり。ボスミン綿球で止血。
腹痛のためもあり、不眠。
23時アタP点滴。
(このあたりの私の日記がかなり簡素になって上記のメモ程度の記載しかない。
疲労もあり、じろが寝ている間自分も熟睡モードだった。反省)

10日

1時レペタン点滴。下痢はタール便。HR 110〜120だが腹痛時は150〜160.熱は37.7度
この数日下痢の性状は緑色水様でタール混入、血小板が下がると明らかな新鮮血混入する。
量も1000g/日以上。腹部はパンパンに張っているため、膀胱が圧迫され、1回の尿量は20cc程度で、5分も経たないうちにまた尿意・・、の繰り返し。1日尿量は500mlしか出ていない。
「かあさん、テレビ消して。うるさい。」TVなどついておらず、昼間でも休息できるように電気も消して、静かにしているのだが・・。何か嫌な夢でも見てるんだろう。
医師からの説明
治療関連毒性による粘膜障害で麻痺性イレウスの状態。腸炎がおさまるのを待つしかない。痛み止めは積極的に使用して可。ということ。

WBC

3600

好中球

2952

Hgb

9.5

Plc

3.3

CRP

3.71

11日
( Day 14)

腹痛を伴う下痢、下血続き昼12時から、モルヒネ開始。
便の培養ではまだ緑膿菌が出ているとのこと。
腹部は変わらずパンパンに張っている。
この日も鼻出血あり。
熱は37.7℃で38℃を超えることが無くなり、うわ言や意味不明な言動もなくなった。

12日

この日も便意とともに腹痛増強!
朝5時もう少し寝させるためアタP点滴。その後はモルヒネ効果で昼間はビデオを少し見られる余裕できた。下痢は回数量とも減っていないが、少し腸蠕動は改善してきたと診察で言われる。
鼻出血は止まっているが血小板の値が低いため、まだ綿球は挿入したままである。もし自分なら息苦しいし、うっとおしいのですぐにでもはずしたいのだが、子供は言われるままよく我慢する。
夕方、PC前うちでアタP入りまた寝る。
熱37.5℃

WBC

4350

好中球

4089

Hgb

7.7

Plc

0.6

CRP

2.8

ATV

56

T.Bill

2.6

MAP,PC,アルブミン施行。

13日

モルヒネ続行中。時々腹痛あるが、頻度は減った。昼寝もせずTVやビデオみたり、ゲーム少しできるようになる。熱36.8℃
前日PC補給しているため、鼻の綿球はずしてもらえる。
一つよくなるとまた一つ問題が・・。夕方から下血し始める。
むくみも取れてきたため本日イノバン中止。

14日

夜中に痛み出現。1時アタP点滴してもらい朝まで眠る。

WBC

5350

好中球

3798

Hgb

9.7

Plc

1.9

AST

45

ALT

47

LDH

305

CRP

2.34

ATV

70

T.Bil

1.6

朝からずっと見るからにFreshな下血。17時過ぎからPC始まりようやくとまる。

15日

痛みなく一日中ゲーム、TV、ビデオなどで過ごす。全く起き上がることはできないため側臥位だけれど・・。

16日

時々「気持ち悪い」という。腹痛は無く、便意がわかるようになってきた。朝から濃緑色の透明な水様便2回。少し“とろみ”のある便になった。
医師から飲水許可出るが、かたくなに「いらない、気持ち悪くなる。」と言う。
夜間よく寝る。本人も私も・・。

17日
( Day 20)

医師から少しずつ起こしていくよう、指示されベッドギャッジアップするが、30度程度で「頭がふらふらする。下げて。気持ち悪い。」と怒っている。

WBC

7300

好中球

5767

Hgb

8.1

Plc

1.3

AST

47

ALT

86

LDH

271

CRP

0.9

T.Bill

1.0

歯磨きやうがいだけでも吐き気強い。医師から経口摂取勧められ、夕食についたスイカ一口、口に入れてみるが飲み込めず。「苦い。まずい。」と怒る。咽頭痛ないが味覚の変調著しい。腹痛ほとんど訴えなくなり、モルヒネは1/2量に減量。CRPも落ち着いてきたため抗生剤は本日で止め。
MAP,PC施行。前うちのアタPで19時入眠。

18日

歯磨きうがいはいやいやながらも何とかやらせてくれる。
おしゃべりも活気が出てきてTV見る時間も増えてきた。少しずつ動かしていこうということで、ベッドギャッジアップするが45度が限界。「気持ち悪い〜。さげて〜。」と叫ぶ。
本日11時モルヒネOFF。
夕方から吐き気が強くなり大量の嘔吐一回。夜になり緑茶色の大量の下痢一回。
モルヒネOFFになったためでしょう。

19日

吐き気、食道部不快感、味覚障害は続いている。

WBC

9120

好中球

6114

Hgb

10.6

Plc

1.9

AST

48

ALT

93

LDH

305

CRP

0.69

20日
( Day 23)

大部屋に移動。移植前と同じ部屋を希望し、お友達のRくんの隣のベッドにしていただく。
Rくん、ママさんが個室から出たお祝いのプレゼントまで用意してくださり、歓迎ムード。よかった。
本人はまだ自力で動けないが、お友達の声を聞いたり、様子を見ているだけでも気がまぎれる。
つらい段階ようやく越える。
PC-10施行。

移植後画像評価まで

5月21日〜

大部屋に出たからといっていきなり元気になるわけでもなく、長期臥床による筋力低下、ふらつき、吐き気など続いている。医師や看護師からなるべく起き上がる時間を長くしていくよう指示されるが・・。ベッドでギャッジアップしても15分くらいが限界で「気持ち悪い。吐きそう。下げて〜。」とぽろぽろ涙を流し訴える。必要だとわかっていても実際これ以上続けると吐くのだから、ベッドを下げるしかない。食事摂取もほとんどできていないので“補食可”の許可を得るが、他の子と同様、夕食のみにせざるを得ない。他の子たちだって化学療法中で食欲不振、吐き気に悩まされている。それでも“補食は夕食のみ”のルールの中で我慢している。一日の中でも調子の悪いときも、よい時間帯もあるのだから「食べれる時間に食べたいものを少しでも」というのが親心なのだが・・。大部屋という集団生活の中での子供の社会もあるのだから仕方がない。
一日の食事摂取量、バナナ一口、ヨーグルト二口。食べていないのとおなじ・・。
下痢は一日に3〜4回。ようやく少しとろみがつき色も茶色になった。
血液像はG−CSF続行中で白血球数は維持。Plcはまだ低値で3日に一度のペースでPC-10、MAPは10日に一度のペースで入っている。
大部屋に出てありがたかったことは同年代の子供たちと遊べること。遊ぶといっても自力座位すらとれないので自分はベッドに横になったまま。他の子がベッドサイドに椅子を持ってきてケーブルで繋いでゲームボーイしたり、一緒にビデオ見たり・・。皆、優しいそして賢い。何とか一緒に遊ぶ方法を見つけてくれる。そして隣のベッドの子の様子が気になって覗き込みたい気持ちが、じろが自分で起き上がる原動力になった。腹筋も背筋も衰えてしまって、全身の力を振り絞るようにベッド柵にしがみつき、はじめて起き上がったときのことは忘れられない。

28日

今までほとんど経口摂取できていなかったため中止となっていたバクタ、再開となる。

29日

車椅子で移植後初めてプレイルームに行く。車椅子への移動は抱きかかえるのだけど、背中も脇もやせ細っているからどうやって抱いても「痛い。」お尻の肉も全然なくなってしまい、車椅子に座ると「痛い、痛い。」バスタオルをクッション代わりにひいてようやく座る。本が好きな彼は他の子と同じように遊べなくてもここにいることは好きみたい。でも、おしっこが近いので長い時間はいられない。部屋に戻るともうぐったり。座っていることって体力必要。楽しみながら少しずつベッドから離れる時間を増やしていく。みそ汁の中の豆腐と白菜数口食べる。せっかく食べてもバクタ飲むと吐き気が出て、全部嘔吐。あ〜ぁ。バクタは食前にのむことにしよう・・。

31日

採血でWBC 3500なのだが好中球が5%しかない。まだ骨髄回復は十分でなくG-CSF再開となる。Plc.も1.1と低値でPC-10施行。

6月1日

常時吐き気があるわけではないが食欲は全くない。食事は毎回いやいやながら私が強く勧めるものだから、一口、二口つつく程度。せっかく無理して食べても、食後のうがいや内服もどしてしまうこと多い。体重18.8Kg

2日

WBC 15250 好中球 10065 G-CSF中止 Plc.2.4

4日

WBC 4100 好中球 2009 Hgb 8.2 Plc. 1.7 PC-10施行

5日

Map 2単位

7日

数日前Y先生から「お母さん、少し気になっていたのだけど、じろ君耳の聞こえどうですか?私がなんか聞いても返事してくれへん時があるんですけど、嫌われてるからかなと思ってみたり・・。」先生を特に嫌っているわけではなく、TV,やゲームなどに集中しているせいか、私が話しかけても返事もしないこともあり、繰り返し何度か呼びかけて返事することが確かにある。
大量療法の前にはプラチナ製剤を使っていることもあり、先生は気にしてくださっていた。ということで、この日耳鼻科受診し聴力検査。結果は・・、正常範囲内。ただ返事するのが億劫だったのか、反応が少し遅いのか・・?

8日

移植後初めての入浴。車椅子で浴室まで移動。支えてなんとか立位をとりシャワーチェアに移動、2〜3歩、歩く。抱きかかえるようにして浴槽につからせてみる。毎日身体は拭いているし、手、足浴もしていたがやはり大量の垢がでる。疲労感が強いため長い時間は無理だが「気持ちいい。」と。もともとお風呂は大好きな子だから、無理もない。

10日

移植後評価のためMRI
撮影後30分位で主治医のY先生訪室。「おかあさん、今日の頭のMRIモニターでは見たんですがまだフイルムが上がってきてないので、お話は明日の脊髄を取った後でいいですか?前のとも見くらべたいので・・。」
とても自然にそういっていかれる。しかし、この時点で私は結果がわかってしまった。明らかに画像の変化がないのだろう・・ということが。モニター確認だけでも明らかに縮小していれば、先生はそのことに触れているはず。前と見比べる必要があるということは、変わってないのだ。
WBC 3130 好中球 1400 Hgb. 10.6 Plc 1.9

11日

昨日血小板低値だったためPC-10施行。
午前中に全脊髄のMRI終わっており、夕方Y先生よりお話。
「病変のサイズは不変。頭の中にも脊髄にも播種はない。おかあさんががっかりされるのはわかっていたので、昨日モニターを見てわかっていたのですがフイルムを見てからちゃんとお話しようと思ってました。」
やっぱり・・。予想通りの結果でした。「この病変に対して現状で積極的に何かしなければならないという気がしない。しかしこの後、つかえる手段が何もないというわけでもない。γーナイフ、経口のラステッド、IFNなどの必要性、可能性の検討は来週のカンファレンスで行う。まず今は、体力のUPを目標にしていきましょう。」
日々つづっていた日記だが、私自身の精神状態がよくないときの記載は、淡々とした箇条書きになってしまっている。
この日の話はとても重要な内容なのだが、箇条書きのためこんな程度の記載しかない。

退院まで

6月12日

なんとなく病院に行きたくない。画像上病変が残っているとわかり、なにもやる気がせず自分の部屋でボ〜っと過ごす。私が来るのを待っていることはわかってるのだけれど・・。ようやく重い腰を上げて面会時間の3時に間に合うよう、病院到着。
一人にしておくと自分では動かないじろを見かねてか、若いT先生、看護師のHさん、Hさんがじろともう一人同じ学年のお友達を詰め所に連れてきて、一緒に遊んでくださっている。二人ともニコニコ、このT先生、子供たちと一緒になって遊んでくれるから、じろが大好きな先生。

13日

なかなか起き上がる時間が増えないので、ベッドの上に置ける、小さな座椅子を持ち込む。ゲームボーイやってもいいことを条件に座らせる。4人床の他の3人は外泊、隠すことなく補食できる。持参のポテトサラダ、味噌汁を量は少しだがうれしそうに食べる。味覚障害はまだ時間がかかりそう。甘いものは「まずい!」塩味のものを好んで食べる。

14日

朝からバクタの内服ができておらず、看護師さんに何度も内服促されてふてくされている。吐き気があるのはわかるんだけどのもまなきゃ仕方がないのだから、あきらめればいいのに・・。食欲無し。病院食についたスイカ3口、バームクーヘン1口。

15日

起き上がることや、動くようにどうしても口うるさくなってしまう。親も子もストレス。担当医の先生にリハビリ依頼のお願いをする。快く依頼してくださり感謝。

16日

院内学級に連れて行くが、気分が悪いとすぐにもっどってきてしまう。車椅子座位も30分が限度。

17日

今日からリハビリ室に行き、訓練開始。リハビリベッドに端座位になり、座る練習。すぐに横になりたがるが、PTの先生がサッカーボールを持ってきてくれると、とたんに活気付きボールけりする。こうやって楽しみながリハビリ進むと良い。

18日

午後から少し院内学級に行く。リハビリ室に行くのは楽しいようで、起き上がることさほど嫌がらず。車椅子に乗って病棟の外に出れるのはうれしい様子。自力座位時間少し伸ばす。
体重18.5Kg

19日

リハビリベッドの周り、支えられながら一周歩く。

20日

点滴の支柱につかまって、一人で歩く。

22日

リハビリ室の中からリハビリ廊下まで、PTの先生と歩いた歩数自分で数えて・・、144歩!毎日の成功体験がリハビリ順調の秘訣。もともと長期臥床による活動不耐と筋力低下だけで麻痺などないため、回復早い。

23日

リハビリ室から病棟までPTの先生と一緒に歩いて帰る。その後さすがに疲れたのかぐったり。

24日

転院してきてからずっと仲良く遊んでくれた一つ年下のお友達が今日退院。
この子はじろのよき理解者。遊びを通してリハビリが進んだ大きな貢献者でした。離れるのは寂しいけど、今まで仲良くしてくれてありがとう。
見送った後、マンションへ外泊。タクシーに乗るほどの距離でもないが、じろがとても歩ける距離ではないので車椅子に乗って帰る。

25日

帰院後、眼科受診。眼底、所見無し。散瞳のミドリンPでかなりしみる感じ強く、半泣き (・_・、

26日〜27日

また、外泊。頻繁に外泊させてもらえるのは、気分転換と好きなものを少しでも食べてくるようにという計らいだろう。
車椅子でスパーに行き、自分で食べたいものを選ばせる。消化器症状はまだ続いているが、自分の選んだものは少しずつ、食べることができる。焼肉少々、サラダ、ジュース100ml。一回に食べる量は少ないが、「おいしい」と思えるだけまだよい。トイザラスへ行きたいというため、またまた車椅子で・・。カードゲームやプラレールの電車など購入し、機嫌いい。
少しは食べたが、必要量にはぜんぜん達していないので、帰院後点滴繋いでもらう。肝機能悪く、強ミノ継続中。

28日

今日は大量療法後初のルンバール、ドルミカムで入眠処置。処置後すぐ覚醒し、「てりやきマックバーガー、食べたい。」という。自分から積極的に食べたいということは珍しい。買ってくると、1/3程食べる。午後から院内学級へ行き、その後リハビリも予定通りいく。

29日〜30日

[今日外泊する〜。」面会に行くとうれしそうに言う。すでにT先生に自分で伝え、許可もらったらしい。外泊すれば好きなものが食べれるからかと思っていたが、よくよく聞いてみると、「母さんと寝たいんだもん。」と。
そうだよなぁ、私以外の家族とはなれ、付き添いもなく毎晩一人で寝るのは寂しい。良くコレまで我慢してきたものだ。
外泊して一緒に寝ることで、安心感があるようだ。

7月2日〜

骨髄の回復がやや遅延している。WBC 1790 好中球 400でグラン75を臨時投与される。Hgb 9.1 Plc. 5.5

3日

名古屋のお友達Sくん親子が面会に来てくださる。外出許可をもらい一緒に外食するが、あまり食べられず。嘔吐あり。

5日

骨髄はまだへなちょこなのか、WBC 2780 だが好中球 220 と低値で二日間グラン75 臨時投与。

移植後ずっと肝機能は高めで強ミノ続けているが、更に悪化傾向のためこの日から強ミノ2Aに増量となる。
大量療法後の薬剤性の肝機能障害であろうということだが、遷延しているため一応輸血による肝炎も疑い検査していただく。
後日結果は陰性と報告あり。

12日

Hgb 8.0 MAP2単位施行。 Plc.3.0 骨髄回復がいまひとつ。肝機能もやや高値、食事摂取量が増えてきていない。家が大阪近郊であれば退院して外来受診で様子見れる程度だということだが、自宅が遠いためしばらく入院継続でお願いする。

7月中旬から8月

病棟内でも自由に歩き回り、進んで5階への散歩も行くようになり、リハビリは終了にしていただく。
とにかく食べることが退院までの目標であり、検査や他科受診などの予定が無いときは、ほとんど外泊させてもらう。
少しずつではあるが、食べれるようになり、嘔吐の回数は減ってきた。全部抜け落ちていた睫毛も生え始め、頭もうぶげが生えてきた。7月25日はプレイルームから天神祭りの花火を見る。このときには退院もちか近づいており、花火を見て「もうコレで大阪の生活も終わり、このまま病気がおとなしくしてくれたらいい。もう、何も起きませんように。」などと考えていた。大量療法からちょうど3ヶ月ということで、MRIで評価する。脳幹から発生の嚢胞状の病変のサイズは不変(2Cm大)脊髄播種なし、という評価は前回と変わりなし。

8月17日

地元小学校の担任の先生、養護の先生が大阪まで来てくださり、院内学級の担任の先生、主治医、担当医、私のメンバーでじろの復学に向けてのカンファレンスを行う。病気の経過、今後考えられる問題、学習の進度について話し合う。
遠い病院までわざわざ来てくださったことに感謝!じろが戦ってきた病院の環境を見ていただいたことにより、理解が深まり復学の道しるべになったと思っている。

19日

大阪市立総合医療センター退院する。
治療の道を開いてくださったセカンドオピニオンのA先生、支えてくださった先生方、看護師の皆様、その他のコメディカルの皆様に言葉では言い尽くせないほど感謝しています。
ありがとうございました。